和田清(わだきよし)
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1.介護保険 2.介護保険大幅改正の実態とは 

1.介護保険
 

高齢者福祉の現状
高齢者の福祉はやはり、介護保険で方向性が決まってしまいました。それには、良かった面と悪かった面とがあります。しかし、権利擁護や例所得者の生活水準の確保(セイフティネット)という意味では、税源問題も含め、「進歩」というよりは「混迷」を深めてしまいました。行政と支援事業所が、現状を検討し、「良心」に基づくサービスを提供してきた、今までの「措置」という方法は、確かに一定の成果を上げてきました。しかし、箱もの行政であった事によって、大地主やお金持ちによって、目的は何であれ、実績や専門性とは関係なく、「特別養護老人ホーム」が出来てしまいました。その施設を中心にして、福祉サイドがサービスを作って来てしまった弊害は確かにありました。それが、今度は、180度違う「介護保険」に変わりました。この制度の内容はともかく、情報公開と消費者の権利意識が追いついていませんでした。そして、この制度の施行状況が、「概ね順調」という政府の見解とは裏腹に、現在の日本の高齢者福祉を支えているのは、何よりも当事者であるお年寄りの「がまん」の精神でした。また、それと、「家族が支えるのが義務」という封建的常識、支援・介護従事者の「自己犠牲的精神」によっても支えられてきました。それゆえ行政が言う「制度が十分である」という事の証明はできていないのが現状です。

介護保険によって変わった事
社会福祉施設も企業も、自由に参入することが出来るようになりました。介護保険という「もう一つの国民負担の増加」によって、サービスの供給量も増えました。しかし、「認知症による徘徊や暴力」をしてしまう人たちは、未だ受け入れる事業所は少ないですし、「知的障害や精神障害」を併せ持つお年寄りに対しては、「たらい回し」が起こっているのも事実です。営利を目的とする企業は、手のかかる人は受けたがりません。職員の教育と処遇は、収益をまず優先した上で決まるので、置き去りにされます。しかし、前述のお年寄りと職員の献身的努力により、最悪の事態は免れているというのが、介護保険導入後の変化ではないでしょうか?

介護保険は、「排泄・食事・清潔」が限界
「人が人として生きる」という事は、「排泄・食事・清潔」が確保されれば良いと言うものではありません。QOL(クオリティー・オブ・ライフ:生活の質)が、どれだけ確保されるかが問題です。ただ、生きていれば良い、というのは、「福祉の貧困」そのものでしかありません。しかし、現状のサービスは、そのほとんどが介護保険であり、「生物的生存の最低限の保障」しか、まかなわれていない感があります。それは、結局、職員の処遇によるところも大です。今の単価では、経験豊かな専門職を雇う事が出来ません。現場は、「給料が安くて当たり前」」「資格をとっても介護をしているだけでは、将来が描けない」、そんなイメージなのです。そんな現場で、職員の疲弊と、虐待等が起きるのです。

職員の「やる気」はどこへ?
ある大学の社会福祉学科の卒業生の2/3は、一般企業に就職すると聞きました。じゃあ、残りの1/3は福祉の現場に来てくれているのでしょうか?残念ながら、その残りの1/3は、まず公務員、そして福祉事業をやっている企業でしょう。少なくとも民間の社会福祉法人やNPO法人に「夢を持って」就職してくれる学生はほとんどいません。なんのための福祉教育なのか? そんな現場で、犠牲になるのは誰なのか?これは、日本全体の問題なのに、真剣に考えられているのでしょうか?

市町村の役割
国は、「地域密着型サービス」として、市町村の裁量権を大きくしたメニューを用意しています。地方の自治体から言わせれば、「それ相応の財源は移譲されていない!」となりますが、とりあえず自由度は増している、と説明されています。しかし今まで、現場では、「市町村はどう言ってるの?」と指示を仰ぎ、市町村は「県からの説明がない」と応え、県は「国に聞いてもあいまいな答えしか返ってこない。」「あるいは,まだ決まってない」といった、国⇔県⇔市という、たらい回しで事があやふやになってしまっていました。これからは、違うはずです。住民が身近な自治体と一緒になって、自分たちにふさわしいサービスを作り出せるしくみができたはずです。そのためには、不正やいい加減さをチェックし、ふさわしい民間との協働作業が、行政に求められてるはずです。その意味で,行政には「専門家(スペシャリスト)」の配置が必要です。

県,国に指示を仰ぐ茅ヶ崎にはなりたくない
もちろん、十分に議論すべきだし、科学的根拠も大切です。しかし、制度には、どうしても現状との「ズレ」が生じるものです。私たちは、我々の町に合った、オリジナルの解決方法を見い出すべきですし、また構築して行くべきです。そのためには、住民自ら考え、提案していく力を身につけていかなければなりません。その代弁者が「議員」であるはずです。自らの町の「立法府」をきちんと選ぶ事、それこそが、この町の福祉を決めるための第一歩ではないでしょうか?

皆さん、まず、選挙に行きましょう!

 

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2.介護保険大幅改正の実態とは
 
介護保険の改正の目的は?
「郵政民営化」の陰に隠れて、すんなり通ってしまったのが、「介護保険の大幅改正」法案です。皆さん、わかっていましたか?介護保険が、赤字になってしまってやりくりが出来なくなったので、「介護度の軽い人にはサービスをやらないぞ」という法案が通ってしまったのです。これは、極端な表現かもしれません。しかし、「介護予防」という言葉で、要介護度1の人たちが使えるサービスが減ったのは事実です。「介護が必要となる前に、予防を」というのが主旨ですが、「財政削減のための言い訳」に聞こえるのは私だけではないでしょう?

90才過ぎて「予防」とはこれ如何に?
「介護に要する時間」という物差しで計られた介護度認定は、たとえその方が90才を過ぎていようと、100才であろうと、平気で「要支援」と位置づけ、提供出来るサービスは「介護予防」だけになってしまいます。
90才を過ぎた方に対しては、「本当にご苦労様!」と思います。それなのに、制度的には、「予防」のための、「自立へ向けての訓練」しかメニューにないのです。ご本人が、どのような生活を望んでいるかを考える事が大切なのに、「援助してほしい」という人たちに、機能的な自立度だけで、「あなたに介護は必要ないでしょう?提供できるのは、訓練ですよ。」と言ってしまうのが、今回の改正で見えてきた高齢者福祉の実態です。

「在宅介護支援センター」の次は「地域包括支援センター」。
そして次は?

相談支援や権利擁護など、「介護保険」のしくみから落ちていく人たちの問題を解決するための受け皿が、「在宅介護支援センター(以下在支)」のはずでした。しかし、実際には民間の施設に押し付けただけでしたので、良い結果が得られませんでした。その結果、制度としては「在支」はありますが、補助金は廃止され、有名無実化してしまいました。
次に出たのが、今回の改正で打ち出された「地域包括支援センター(以下、包括)」です。しかも、今回は、市町村丸投げです。戸惑ったのは地方自治体です。しかも、予防介護のケアプラン作成は全部「包括」が請け負います。権利擁護の推進や、地域ネットワークの構築支援など、行政の本来の役目を、またまた都合の良い「民間委託」でお茶を濁してしまいました。「包括」には、3職種の専門家を置く事になっています。「保健師もしくは看護師、社会福祉士、ケアマネリーダー研修を受けたケアマネージャー」です。これらの専門家はそうでなくても、確保が難しい職種です。委託費は不十分です。これでは、公正中立で、豊かな人材を配置する事はとても難しいことになります。委託費は安いわ、仕事は多いわ、国の示した基準は、あまりに曖昧で、それぞれの地域に適応していません。又、具体性に欠けるために、市町村が、独自で判断し、適正な制度確立に向かわなければならないのです。「安かろう、悪かろう」といった国の政策を、私たちの町独自の「納得出来る制度」に変えていかなければならないのです。
 

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